場所とモノで戦争の記憶と歴史を繋いでいく / デジタルアーカイブが広げる「パブリック」な考古学~慶應義塾大学 文学部教授 安藤広道様~

前説

慶應義塾大学 文学部 民族学考古学専攻の安藤 広道教授は、ご自身の研究活動を通じて、戦争遺跡に関わる歴史や記憶を、様々な背景を持った人々が対話できる「場」や「空間」の提供に取り組んでいます。

「パブリック」とは何か?なぜ重要なのか?
「パブリック」の視点から作成したデジタルアーカイブとは?

今回は、戦争遺跡の歴史や記憶を語られる場としての「パブリック」の役割について、その活動と想いをお伝えいたします。なぜ私たちは「保存」「記憶」するのかーーその原点に立ち返るきっかけとなるでしょう。

目次

これまでの歩みと研究の転換点

― 安藤先生のこれまでと現在の活動について教えてください。

慶應義塾大学 文学部 民族学考古学専攻の安藤 広道と申します。慶應義塾大学大学院博士課程の単位取得後、横浜歴史博物館で学芸員として勤務しました。その後、東京国立博物館を経て、2004年に慶應義塾大学に戻り、教員として働いています。

近代考古学や公共考古学に取り組み始めたのは十数年前のことで、それ以前は縄文・弥生、古墳時代などの先史時代の研究を長年行っていました。

研究の対象を近現代考古学・公共考古学へと広げるきっかけとなったのは、慶應義塾大学日吉キャンパス内にある、アジア・太平洋戦争期に使用された旧日本海軍地下壕の発掘調査です。この発掘調査から得た多くの知見により、考古学的手法を用いた近現代史研究の重要性を実感し、本格的に近現代考古学・公共考古学に取り組むようになりました。

 

公共考古学の起源とその視点

― 安藤先生が研究される以前から公共考古学という分野は存在していたのでしょうか?

公共考古学は、もはやそれほど新しい分野ではありません。欧米では1990年代末から始まっています。しかし「公共考古学とは何か」というと人それぞれです。一般的には、ワークショップや共同調査などの実践を通して、社会と考古学とのより良い関係をつくっていく取り組みとされています。

ただし、「社会」という言葉は「秩序や価値観の共有」や「地域でまとまった集団」という意味で使われることがあります。そうすると、その秩序や価値観を共有していない人たちや地域の外の人たちは、ある意味除外されてしまいます。そのため、私は「社会」という言葉をあまり使わないようにしています。


慶應義塾大学日吉キャンパス海軍地下壕発掘調査時
(写真=慶應義塾大学安藤教授ご提供の画像を筆者により加工作成)

『パブリック』の概念と日本での公共考古学の実践

― 具体的に、安藤先生は公共考古学の「公共」をどのように定義しているのでしょうか?また、その「公共」の中で、考古学をどのように位置づけていますでしょうか

私は「公共」の元の言葉である「パブリック」にこだわりたいと思っています。

「パブリック」をめぐるヨーロッパの研究を参照すると、「パブリック」では特定の価値観や秩序の共有は求められず、関心とコミュニケーションの手段さえあれば、誰でも自由に参加・離脱し得るというふうに考えることができます。

またそこでは「対話」を通じて、異なる意見や価値観、さまざまな考えや行動が受け入れられます。対話によって多様な価値観が交わることで、新しい視点や価値に気づくことができるのです。

私の公共考古学のスタンスは「パブリック」のなかで、考古学の意味や意義、役割、そして考古学にできること、できないことを問い直すことにあります。

 

― 欧米は、多民族国家であり、さまざまな価値観や秩序が共存しているため「パブリック」という概念は根付きやすかったかと思います。一方、日本は比較的民族の多様性が少なく、価値観や秩序の共有がしやすい環境にあります。こうした背景の中で、日本で「パブリック」という考えが根付き、公共考古学において実践されるのかは非常に興味深い点です。

「パブリック」の適切な訳語が日本語に見当たらないことは、日本にそのような場が存在していなかったことを示す一つの証拠になると思っています。実際に近代に至るまで日本には「パブリック」に相当する場は存在していなかったようです。

慶應義塾大学創設者である福澤諭吉先生の「演説」創出のエピソードはその点に関わっています。福澤先生は、人々が自分の意見を自由に言える場が日本に存在しないことを問題視し、スピーチを「演説」と訳し、その普及に努めました。しかし、当初は日本の知識人や政界の人たちから「正しいことは本で学ぶものだ」と反対されていたそうです。

今日では「演説」が当たり前になっているように、時間がかかるかもしれませんが、日本でも「パブリック」の意味や大切さが次第に定着していくと私は考えています。

多面的に歴史を語る重要性とデジタルアーカイブの役割

― なるほど。安藤先生の考える「公共考古学」について理解が深まりました。冒頭で、戦争遺跡の発掘調査を機に、研究の対象を公共考古学にも広げたとおっしゃっていましたが、その経緯をもう少しお聞かせいただきたいです。

博物館で学芸員として働いていた当時を振り返ると、「学術的な研究成果を多くの人に分かりやすく伝える」ことにエネルギーを注いでいました。しかし、戦争遺跡と関わるようになって、学術側からの一方的な発信だけでいいのかという疑問が生まれました。

なぜなら、アジア・太平洋戦争の歴史が語られる場には、研究者だけでなく、戦争体験者、その話を聞いた方々、さらにはテレビ局の番組制作者など、さまざまな立場の人々が関わっていたからです。

それぞれの経験や知識に基づいた異なる視点から、過去を解釈し、相互に影響を与え合いながら多様な歴史が語られる必要があると感じました。

さらに、これは戦争に関する話だけでなく、私たちの日常生活においても同様です。何かを理解したり、問題を解決する際、「過去」を振り返ることはありますが、その際に頼るのは必ずしも学術的な知識だけではありません。それぞれの知識や経験に基づいた「自分なりの正しい過去の解釈」が、判断に大きく影響しています。

戦争遺跡での関わりは、学術の在り方を再考する契機となりました。人々が日常的に判断の拠り所とする知識や経験を重視し、それに基づいた過去の解釈を中心として、「学術的な歴史に何ができるのか」という問題設定に転換し、公共考古学的アプローチによる近代考古学の研究を始め、現在に至ります。

― 安藤先生は公共考古学的アプローチとして、戦争遺跡に関連した地図型デジタルアーカイブ「鹿屋戦争アーカイブMap」を作成していますが、ご自身の研究にそもそもデジタルアーカイブを取り入れたきっかけをお聞かせください。

きっかけは、慶應義塾大学デジタルメディア・コンテンツ統合研究センター(DMC)【1】のキャンパスミュージアムプロジェクトに参加したことです。

このプロジェクトは、バーチャルリアリティやクラウドコンピューティングを使い、慶應義塾大学の日吉キャンパス内に存在する遺跡や文化財を通じて、キャンパス全体を博物館のようにすることを目指すものでした。

また、このプロジェクトのベースには、慶應義塾大学理工学部の金子 晋丈先生【2】が研究されていた 「グラフ構造」のデジタルアーカイブシステムがありました。それが『MoSaIC』【3】というシステムです。

『MoSaIC』はアーカイブ化されたデジタルデータ同士の関係をグラフ構造で表現するもので、具体的には、一つのデータを中心に複数の情報分類が枝分かれする有向グラフ構造となっています。

一般的なデジタルアーカイブの「ディレクトリ構造」では、予め特定の目的を定めた上で、階層を辿って情報を得ていく必要があります。こうした構造は、一つの事象を多面的に理解することには不向きです。

一方、『MoSaIC』では、情報コンテンツ間の関係性が可視化されるため、従来のデジタルアーカイブシステムでは見つけにくい新たな発見や視点を得られやすい点が特徴です。

私は、このデジタルアーカイブのグラフ構造が、遺跡という一つの場所を中心に据え、多面的な視点から「戦争の語り」を紐づけるのに適していると考えました。そして、そこから地図型デジタルアーカイブの発想が生まれたのです。


「physics」を中心に関連した情報が枝分かれしたグラフ構造のデジタルアーカイブ
(出所)「MoSaIC2 システム」 プロモーション映像から抜粋・加工して筆者作成

 

公共考古学の視点を地図型デジタルアーカイブへ応用

― 今のお話で安藤先生の目指す公共考古学にはディレクトリ構造ではなく、グラフ構造のデジタルアーカイブが適していることが分かりました。では、そこからさらに、なぜ「地図型」のデジタルアーカイブを試みようと思われたのでしょうか。

地図型デジタルアーカイブの一つの利点は、地図上で特定の場所と情報をリンクさせることで、その情報がより具体的で鮮明に感じられ、場所の印象も深まることです。

地図上に情報を貼り付けていくデジタルアーカイブでは、何かひとつの情報を選択すると、その場所に関連する予期していなかった情報も同時に視野に入ってきます。

こうした“寄り道”によって興味・好奇心が刺激され、思考の枠が広がっていくーーこれは、モノや場所の歴史や記憶をめぐり、さまざまな立場からの語りを大切にする公共考古学の考え方に非常に適しています。

加えて、誰でも無料でWeb上にマップが作れるアプリケーション『Stroly【4】が』を知っていたことも大きな要因です。既存のアプリケーションを使って簡単に地図型デジタルアーカイブを作れることを示すことで、他の地域でも同様のアーカイブを作りたいと思う人が現れるかもしれないと考えました。


鹿屋市指定文化財「川東掩体壕」に関連する様々な情報を掲載している。
(出所) 鹿屋戦争アーカイブMapより抜粋・加工して筆者作成

 

― なるほど。実際 「鹿屋戦争アーカイブMap」【5】がを作成し、運用する中で、何か課題はありますでしょうか。

双方向性が依然不足している点が課題です。「鹿屋戦争アーカイブMap」には、意見や感想を送信できるSNSアカウントのリンクやメールアドレスを掲載し、誰でも地図型デジタルアーカイブの作成に参加できるようにしています。

しかし、実際には批判を含めた意見や情報提供は期待したほど増えていません。

この「鹿屋戦争アーカイブMap」も、新型コロナウイルスのパンデミックをきっかけに、急遽作成したもので、まだ不十分な点が多くあります。今後は、利用者がどのような部分に関心を持っているのかを知るとともに、より多様な立場からの“眼差し”を取り込んだデジタルアーカイブにしていきたいと考えています。

 

『パブリック』の視点で語り継ぐ戦争遺跡の記憶と歴史

― Q: 安藤先生はこれまで「パブリック」の視点からの戦争遺跡の保存・活用に取り組まれてきましたが、日本における戦争遺跡の保存・活用に関する「パブリック」の意識は、諸外国と比べてどのように感じていますか?

ヨーロッパでは、近代化は社会を平和で豊かにしてくれるものだと信じ、近代化を推し進めてきましたが、実際には、20世紀に2つの世界大戦が勃発しました。そのため、「近代化の道筋は本当に正しかったのか」と問い直す意識が、学術の枠を超えて広く「パブリック」にも浸透しています。

歴史や記憶が語り継がれるためには、それに関わる「モノや場所」が現存していることが不可欠です。日常的にそうした「モノや場所」に接することで、歴史や記憶は「パブリック」に深く浸透していきます。ヨーロッパでは、戦争遺跡や戦争の記念碑を保存、また「つまずきの石」【5】がのように、「記憶をつなぐための新たなモノ」を設置するなどを通じて、戦争の歴史や記憶を振り返る取り組みが行われてきました。

それに対して日本では、残念ながら戦争を振り返り、戦争について考えることの重要性が十分に根付いていないと感じています。

戦後、日本は急速な経済発展を遂げましたが、その過程で過去の過ちに“触れないようにする”意識が強まり、結果として戦争の歴史や記憶を伝える「モノや場所」の重要性も十分に認識されていないのではないかと思います。

 

― 今後、安藤先生の捉える「パブリック」の考え方が日本で根付くために、デジタルアーカイブの利活用はどのようなメリットをもたらすと考えていますでしょうか?

まず、デジタルアーカイブの利活用によって、さまざまな立場から提供される多様な情報に触れ、「モノや場所を直接見たい」という気持ちが高まる機会が増えることでしょう。

一般的に、デジタルで情報を提供すると、逆にモノや場所を直接見たいという欲求が薄れるのではないかという不安の声もありますが、私はそのようなことはないと考えています。

例えば、ミュージアムズ・アソシエーション【6】がが2005年にロンドン大学に委託して行ったイギリス国内の博物館調査では、コレクションの情報を提供すればするほど実物に対するアクセスが増えることが分かりました。情報量が増えるほど、人々はモノや場所に直接触れたいという欲求が高まるのです。

実物に触れることで、それぞれの経験や知識に基づく多様な意見や感情が生まれていきます。そして、その実物に触れて感じたこと、思ったことを他の人々と対話することで、自分一人では気付けなかった新たな視点に目が向くようになります。こうした対話を通じて、多様性が当たり前と感じられる世界が広がっていくことを願っています。

デジタルアーカイブをうまく活用すれば、実際の「モノや場所」は、単に「記憶や歴史を学ぶ場」としてだけでなく、「さまざまな考え方に触れ、対話と発見を促す場」に変えていけると考えています。それによって、「パブリック」の場としての意味や、唯一絶対の正しさを求めるよりも、複数の正しさを受け入れることの大切さが実感できるようになると思っています。研究活動を通じて、そのプロセスに関わっていけたら嬉しいですね。

 

脚注

慶應義塾大学デジタルメディア・コンテンツ統合研究センター【1】
慶應義塾大学の知的資源を活用し、新しい知の創造と流通の国際的先導を実現し、新たな産業、教育、文化、芸術分野等の創出に貢献することを目的とした最先端のデジタルメディア拠点。

 

MoSaIC【2】
データ間の関係や文脈の多様性をデジタルに表現することを試みたプロジェクト。

【参考文献】
文化財の可能性とは? : デジタル技術への期待
安藤 広道.
慶應義塾大学DMC紀要. 4, 1 ( 2017 . 3 ) ,p. 12 – 18 .

パネルディスカッション : 文化財の可能性を広げるデジタル知とは?  
寺田 鮎美 , 安藤 広道 , 金子 晋丈 , 石川 尋代 , 重野 寛.
慶應義塾大学DMC紀要. 4, 1 ( 2017 . 3 ) ,p. 19 – 33

Stroly【3】
Stroly(ストローリー)は、株式会社Strolyが運営するサービスであり、位置情報(GPS)と連動したイラスト地図のオンラインマッププラットフォームの企画・開発・運用を行う企業。

 

鹿屋戦争アーカイブMap【4】
慶應義塾大学の安藤広道教授と鹿屋市平和学習ガイドの方々で作成した、デジタルアーカイブマップ。地図上に鹿児島県鹿屋市一帯のアジア太平洋戦争に関する戦争遺跡や文献、体験談などの情報を集約させ、「情報の経験」を拡張することを目指す。

つまずきの石【5】
ホロコースト犠牲者の名前や生年月日などが刻まれた真鍮のプレートで、1992年から犠牲者の住居や職場に近い路上に設置する運動が行われている。

 

ミュージアムズ・アソシエーション【6】
イギリスの博物館、ギャラリー、文化遺産の専門家と組織の為の専門的な会員組織。【参考文献】
UCL Collections for People Museums Stored Collections as a Public Resource
Alice Stevenson , Francesca Monti.UCL Institute of Archaeology.

プロフィール

慶應義塾大学 文学部 民族学考古学専攻 教授
安藤 広道様

慶應義塾大学大学院 文学研究科 後期博士課程史学専攻単位取得退学。
横浜市歴史博物館学芸員、東京国立博物館研究員を経て、現在、慶應義塾大学文学部教授。
現在の専門は近現代考古学、特にアジア太平洋戦争期の戦争遺跡の調査・研究を行う。公共考古学的アプローチとして、研究成果を軸に『鹿屋戦争アーカイブMap』等の情報公開、運営を行う。