関東大震災の共有知を繋ぐ、国立映画アーカイブの挑戦~100年の節目に記録映画を読み解く~
1923年に発生した関東大震災の貴重な映像資料をデジタル化し、オンラインで公開する「関東大震災映像デジタルアーカイブ」。この配信事業の立ち上げに携わった国立映画アーカイブ学芸課長・主任研究員の入江良郎氏と、プロジェクトリーダーとして本サイトの開設に取り組んだ、とちぎあきら氏(現・日本映像アーキビスト協会代表理事)に、取り組みの背景や公開がもたらした影響について伺いました。
関東大震災から101年目にあたる2024年は、能登半島地震や南海トラフ臨時情報の発表など、災害が頻発した年でもあります。こうした時代だからこそ、過去の震災映像を共有知として活用することの意義が問われています。
本記事では、デジタルアーカイブが災害の記憶をどのように未来につなげるのか、その可能性を探ります。
目次
- これまでのご経歴
- 日本映画文化を支えるアーカイブ機関の歩みと現在
- 関東大震災をテーマに据える意義
- 震災映像を共有知に変える取り組み
- 視聴者とともに築く震災映像の価値
- キャリアが育んだキュレーター的視点
- 公開による新たな価値と連携の広がり
- 映像が日常に溶け込む未来へ
これまでのご経歴
― 国立映画アーカイブという機関で学芸員として働く、あるいはフィルムアーキビストとして働くというキャリアは一般的には珍しいキャリアだと思われますが、もともとこの道に関心があったのでしょうか。お二人のこれまでのキャリアをお聞かせください。
とちぎ あきら氏(以下、とちぎ氏):私は20代後半に映画の勉強のために米国ニューヨークへ留学しました。日米の相互理解と友好関係を深めることを目的とした非営利団体ジャパン・ソサエティーの映画部門に、当初はアルバイトとして入り、そこで労働ビザを取得したことで、数年間にわたり日本映画の普及や上映に携わりました。職業として映画に関わるようになったのはここからです。
日本に帰国後は、映画雑誌『月刊イメージフォーラム』の編集長を約3年間にわたり務めた後、独立してフリーランスのライターや翻訳者、映画祭の実行委員としてプログラムの作成を行うなど、多方面で映画に関わってきました。
これらの経験を通じて、当時の東京国立近代美術館フィルムセンター(現:国立映画アーカイブ)から所蔵作品の目録作成の依頼を受け、1998年に客員研究員として入職。これがアーカイブ機関との最初の出会いです。
作品の目録出版後は、太平洋戦争の戦前・戦中にかけてのニュース映画を一本ずつ内容確認する「カタロギング【1】」作業などに従事。2003年にはフィルムセンターの常勤職員となり、以後15年間フィルムアーカイブ業務に従事いたしました。
定年退職後しばらくして、非常勤の研究員として復帰し、昨年再び退職。現在は一般社団法人日本映像アーキビスト協会の代表理事、フィルムアーキビストとして活動しています。
このように、元々フィルムアーキビストの仕事を目指していたわけではありませんが、ご縁があって現在もこの道で働く機会をいただいております。
入江 良郎氏(以下、入江氏):私は1995年、東京国立近代美術館フィルムセンター(現:国立映画アーカイブ本館)の新館開館と同時に入職しました。
もともと映画監督を目指して日本大学芸術学部映画学科に入学したのですが、当時の監督コースは入学倍率が大変高かったものですから、理論・評論コース(現:映像表現・理論コース)で学んでいた経緯がありました。
そして大学卒業後は早稲田大学大学院文学研究科演劇専修(現:演劇映像学コース)に進み、修了後に川崎市市民ミュージアムの映画部門でアルバイトをしていましたが、なかなか就職先が見つからず苦労したことを覚えています。しかしそのような中で、ちょうど新しくオープンする東京国立近代美術館フィルムセンター(現:国立映画アーカイブ)で1名のみの公募があり、現在の仕事に繋がったのです。これは全くの偶然でした。
私たちの時代は映画のコースを持つ大学も限られており、当館やフィルムアーキビストを目指すキャリアパスもありませんでしたが、現在は映画を専攻できる大学も増えましたし、映画アーカイブへの就職を希望する学生さんも増えて、かつてとは状況が様変わりしていますね。
とはいえ逆に狭き門であったからこそ、私には自分なりの道を切り拓いていくことができたという自負もあります。
日本映画文化を支えるアーカイブ機関の歩みと現在
― 本題に入る前に、まずは「国立映画アーカイブ」とはどのような機関なのかについて、教えていただけますでしょうか。
入江氏:独立行政法人国立美術館が運営している「国立映画アーカイブ」は、映画の収集、保存、公開を通じて映画文化の振興を図る、日本で唯一の国立映画専門機関です。
以下、当館の沿革です。
本画像は、インタビュイーである入江氏のご説明と、公式HPに記載された沿革情報を基に筆者が整理・作成。
出典:国立映画アーカイブHP「国立映画アーカイブの歴史」(2024年11月12日参照)
入江氏:当館のルーツは1952年に誕生した国立近代美術館(現:東京国立近代美術館)が国立機関として初めて映画事業(フィルムライブラリー)を始めたことに遡ります。これにより、映画が美術館の広報普及活動の一環として位置付けられ、日本映画の保護と普及の足掛かりが築かれました。
その後は当初の上映活動に加えて、映画フィルム保存の重要性が認識されるようになりました。その契機となったのが、1967年に米国議会図書館から大量に日本映画が返還された出来事です。それらの「返還映画」が基盤となり、当時の東京国立近代美術館にフィルムセンターが設置されるに至りました。
このように、日本における映画の保存活動は1970年頃から本格的に始まったといえます。しかし、欧米の先進国におけるフィルムアーカイブは、無声映画が衰退した1930年代から既に収集活動を開始していました。そのため、映画アーカイブ機関同士で作品の交換上映を行う際にも、日本では過去の作品が「どこに」「どれだけ」存在するかを把握できていない時代でした。この遅れを取り戻すためにも、日本は急ピッチで映画資料の収集活動に取り組んできたのです。
また、かつては外国映画の名作も積極的に収集していた時代がありましたが、1990年代以降は何よりも日本映画の散逸を防ぐことを最優先としています。これは、海外のフィルムアーカイブとの国際連携の結果でもあり、各国が「自国の映画は自国の責任で守るべき」という意識を持つようになったのです。
「映画」と聞くと劇映画を思い浮かべる方も多いかと思いますが、私たちが守らなければならない日本映画には、記録映画、ニュース映画、産業映画、アニメーション映画も含まれます。これらを網羅的に収集することを明確な目標として掲げ、収集・保存し、上映活動や研究、国際交流に役立てています。
出所:インタビュイーである入江氏のご説明をもとに、筆者が整理・作成。
関東大震災をテーマに据える意義
― なるほど、映画にも様々な種類があるのですね。その中でも記録映画、しかも数あるコレクションの中から「関東大震災」をテーマにしたデジタルアーカイブが開設されていますが、そこに至るまでの経緯や想いについて聴かせていただけますでしょうか。
入江氏:国立映画アーカイブはデジタル配信を通じて、収集・保存した映画資料の公開範囲を拡大する取り組みを進めており、「関東大震災映像デジタルアーカイブ」の開設はその一環でした。当館では現在までに約8万7千本のフィルムを収蔵し、これまで国内外のホールでの上映やテレビ局への映像提供を通じて公開を行ってきました。しかし、収集・保存している日本映画資料の6割以上を占めるニュース映画や記録映画は、従来のようなホール上映の機会が限られており、公開されないまま”眠っている”映画も多くあります。
そうした中で、デジタルアーカイブ化のための予算が確保され、いつでもどこでも多くの方が視聴できるデジタル配信事業に着手するに至ったのです。
とちぎ氏:開設したデジタルアーカイブのテーマを「関東大震災」とした背景には、公開決定のタイミングが大きく関係しています。デジタルアーカイブ化の予算が確保され、所蔵品の中でも特に記録映画を公開することが決まった時期が「2021年〜」であり、ちょうどその2年後が関東大震災発生から100年という節目だったのです。「関東大震災」というテーマへの関心の高まりが予想されたことで、まず関東大震災に関する作品の公開が決まりました。
こうした経緯に加えて、私たちがこのデジタルアーカイブのテーマを「関東大震災」とした理由には、当館の歴史とそこに携わってきた先人たちの想いもあります。というのも、1952年に国立近代美術館フィルムライブラリー(事業)が設置された当初から、海外の名作や日本の古典映画が収集・公開されていましたが、当時からすでに関東大震災の記録映画も収集されていたのです。
後から考えてみると、その当時に関わっていた映画の専門家たちも、関東大震災を記録した映画の重要性を認識していたのだと思います。また、震災発生の節目ごとにメディアの関心が集まり、多くの方が震災の記録に触れる機会が生まれるため、その度に震災に関する映画の寄贈があり、収集活動が繰り返されてきました。
つまり、私たちの「関東大震災映像デジタルアーカイブ」は、予算が下りてからフィルムを収集したわけではなく、長い歴史の中で蓄積してきたコレクションを背景に、関東大震災をテーマとして開設したものなのです。
震災映像を共有知に変える取り組み
― 「関東大震災映像デジタルアーカイブ」の開設は、先人たちの想いや取り組みがあってのことだったのですね。デジタルアーカイブを制作する上で意識したことや工夫した点についても是非お聞かせください。
とちぎ氏:まず一つ目として、2021年にデジタルアーカイブを開設し、コンテンツを段階的に公開しながら、関東大震災から100年となる2023年9月1日に完結させる計画を立てたことです。私たちは日頃から、所蔵作品の映像内容を確認し、目録を作成するという基本的な作業を行っていますが、デジタル配信を通じてユーザーに届けるにあたり、関東大震災の映像内容をさらに精査する必要があると考えました。そのため、調査・研究で得られた成果を少しずつ公開し、ユーザーの関心を維持しながら100周年を迎えたいと考えたのです。
入江氏:2021年9月1日の公開初日には、アクセス数が44万ページビューに達し、多くのメディアに取り上げられました。予想以上の反響に驚きましたが、現時点(取材時:2024年9月26日)では約115万アクセスに達しており、更新のたびにアクセスが増加し、持続的に利活用されるデジタルアーカイブとして成長を続けています。
とちぎ氏:二つ目として、「関東大震災映像デジタルアーカイブ」のWebサイトの方向性やテーマを明確にし、それを具体的な作業に落とし込む工夫を行いました。このデジタルアーカイブを開設し、コレクションを公開する目的は何か、誰に向けたものなのか、そしてそれを達成するためにどのように伝えるべきかを深く考えた結果、以下のキャッチコピーが生まれました。
「世紀を超えて残されてきた国立映画アーカイブ所蔵の関東大震災の映画フィルムを通して、巨大災害の実態と社会の変容を、現在の共有知にするためのウェブサイト」
国立映画アーカイブが公開する「関東大震災映像デジタルアーカイブ」のトップ画面には、タイトルの下部にとちぎ氏が考案したサイト全体を貫く視座(キャッチコピー)が記載されている。
出所:「関東大震災映像デジタルアーカイブ」より筆者が抜粋・加工して作成(2024年11月12日参照)
とちぎ氏:特に「巨大災害の実態と社会の変容を、現在の共有知にする」という表現を選んだ理由は、ユーザーが「関東大震災」の映像に対して単なる地震の記録としてだけでなく、当時の社会状況、建築物、メディアのあり方、政治的な問題など、さまざまな要素に関心を寄せていると考えたためです。
こうした潜在的な問題に気付いて現代の共有知とするために、映像を短いクリップに分け、時間や場所、救護や火災といったシーンで検索して、クリップ単位で視聴できる形式にしました。また、さまざまな分野の専門家によるコラムも掲載し、震災映像に関する多角的な理解を深められるよう工夫しています。
本ウェブサイトでは、「場所」や「シーン」から検索し、関東大震災の記録映像を閲覧できる仕様になっている。
出所:「関東大震災映像デジタルアーカイブ」より筆者が抜粋・加工して作成(2024年11月12日参照)
― ここまでのお話を伺うと、非常に順調に進行されたように思えますが、開設に伴う困難や課題はどのようなものでしたか?
入江氏:順調な進行に見えるかもしれませんが、実際には予算以外にも様々な課題を解決する必要がありました。特にフィルムの調査からデジタル化、映像内容の解析、サイトの開発に至る各段階で、それぞれ異なる専門スキルが求められた点です。フィルムの調査やフォーマットの指定、グレーディングなどの作業や検品には、1秒間に十数コマからなる映画の特性上、非常に多くの時間と手間がかかります。限られた人員各々の知識とスキルを総動員しながら、やっとのことで年間100本のデジタル化を行っていたのが実情です。
さらに、私たちは国立情報学研究所【2】(以下、NII)との共同研究としてこのプロジェクトを進めています。NIIの協力がなければ、これほどの機能やインターフェースを持つデジタルアーカイブの開発は実現しなかったでしょう。
とちぎ氏:映像の内容精査も非常に苦労しましたね。「これは本当に関東大震災を写した記録映画なのか?」と疑う声が上がるほど、撮影場所や時間などの基本情報がほとんど残されていなかったのです。無声映画であるため現場音やナレーションはなく、わずかな字幕も映像と一致しない場合がありました。例えば、字幕には「丸の内」という場所が書かれているのに、次のシーンでは全く異なる場所が映し出されていることがあり、何も知らない人が見れば、「丸の内」がそのような被害を受けたと誤解する可能性もありました。
当時の震災映像は、劇映画のように見世物として映画館で上映され、災害をスキャンダラスに見せることが主で、記録としての意義が重視されていなかったと考えられます。そのため、さまざまな制限がある中で果敢に撮影された映像ではあるものの、被害状況の一部だけが切り取られる結果になっているのです。
こうした背景から、映像を検証して基本的な情報を追加することが、現代の共有知に貢献するために重要だと考え、外部の専門家の協力を得ることにしました。災害史や都市史の専門家である田中傑【3】先生には、クリップ単位で撮影場所や時間の同定作業にお力添えいただき、100件を超える資料を横断的に駆使しながらこの作業に取り組んでくださいました。
視聴者とともに築く震災映像の価値
― 制作過程で印象に残ったことはありますでしょうか。
とちぎ氏:ユーザーからの情報提供で映像の内容が判明した瞬間です。先ほどお話しした通り、田中先生には膨大な資料をもとに同定作業を進めていただきましたが、それでもわからないことや断定できないことがありました。「関東大震災映像デジタルアーカイブ」にはお問い合わせフォームを設置していませんでしたが、映像を見たユーザーから直接メールやお便りで情報をいただき、その結果、撮影場所や時間が判明したケースがいくつかありました。
また、ウェブサイトへのアクセスを促すため、当館のYouTube公式アカウント【4】を開設し、YouTubeで同時公開することにしました。YouTubeでは動画のみを公開し、メタ情報はほとんど付けていませんが、視聴者の中には綿密に調査を行う方がいて、コメント欄で私たちが知らなかった情報が提供されることもあります。
すなわちウェブサイトとYouTubeを開設したことで、震災映像に関するある種のコミュニティが自然に生まれたのです。そこでは、私たちが提供する情報に加え、視聴者がコメントで寄せてくれる情報も蓄積されています。これにより、震災に関心を持つ人々が自分なりに情報を分析するきっかけが生まれたことが非常に印象的でした。
インタビュイー:とちぎ あきら氏(国立映画アーカイブ本館 B1階 小ホールにて撮影)
様々な分野の専門家による独自の視点で映像を読み解いたコラムページを設けたエピソードを振り返る。
キャリアが生んだキュレーター的視点
― 「関東大震災映像デジタルアーカイブ」はデジタルアーカイブでありながら、キュレーションサイトとしての要素も感じました。冒頭で教えていただいたように、とちぎ様の雑誌編集者としての経験が、Webサイト開設に活かされたように感じます。
とちぎ氏:はい、これまでWebサイトの制作に関わったことがなかったので、実際に取り組んでみて初めて共通点に気付きました。NIIの方々とやり取りをしながら、「こうやってWebページは作られるんだ」と学び、コンテンツの選定やインターフェース、ページ構成、遷移などを考える中で、自分なりのアイデアも出てきました。
議論を重ねて今の形に落ち着いたわけですが、振り返るとこれは編集作業そのものだと感じます。もちろん紙媒体と異なる点は多々あり、例えばページの見せ方やリンクの貼り方など、紙媒体と比較して自由度や大胆さが求められる部分もあります。
しかし、一つの作品としてまとめるという「編集の視点」には、これまでの経験が活きていると感じます。
― ありがとうございます。アーキビストにも、展示物をどのように見せ、どのように解釈を与えるかを考える、キュレーターのような視点が必要なのかもしれませんね。
とちぎ氏:そうですね、必要だと思います。ただ、私の場合、それを意識して身に付けたというよりも、これまでの仕事の経験から自然に学んだという感覚が近いですね。
当館で正規職員として15年間勤務する中で、私の仕事は「フィルムを集める」という入口の部分と、「フィルムを借りたい」「テレビで使いたい」「研究のために見せてほしい」といった要望に応える「アクセス対応」という出口の部分が中心でした。当館で所蔵する全ての作品を完全に把握しているわけではないので、アクセス対応をする中で「こういう作品があったのか」「この作品にはこういう価値があるのか」と、外部からの依頼を通じて新たな発見をすることが多くありました。このプロセスを通じて、集めた作品の本当の価値や意味が徐々に見えてきたのです。
その経験から、アーカイブ作品へのアクセスを希望する人々に対して「より使いやすく提供するには、どうすれば良いか」について考えるようになりました。それはフィルムそのものを見せたり貸し出したりするだけでなく、デジタルアーカイブとしてWeb上で公開する場合も同じです。どのようにすればデジタルアーカイブとして作品の価値を高められるのかを考え、その結果として編集作業を通して具体化されてきたのだと思います。
公開による新たな価値と連携の広がり
― 「関東大震災映像デジタルアーカイブ」公開後の反響をお聞かせください。
入江氏:2021年9月1日のサイト公開後、そこから生まれた映画『キャメラを持った男たち― 関東大震災を撮る― 』【5】やNHKスペシャル『映像記録 関東大震災 帝都壊滅の三日間』【6】は、いずれもこのデジタルアーカイブの成果を取り入れた内容になっています。特にNHKスペシャルでは、従来のような、記録映画が挿絵のように扱われることが多かった映像とは全く異なる映像の形を印象付けました。具体的には、記録映像にはカラー化や細かな分析が加えられ、また映画では撮影者に焦点を当てるなど、従来にはない視点から作品が制作されています。
とちぎ氏:この2年間、NHKスペシャルの制作チームや映画制作チームとの情報交換を通じて、私自身も多くの発想やアイデアを得る機会があり、それが「関東大震災映像デジタルアーカイブ」のウェブサイトを作り上げていくうえで少なからず影響を与えてくれていたと思います。もちろん、NHKスペシャルや映画制作チームの皆さんは私たちとは異なる立場ですが、最終的に2023年9月1日という節目にそれぞれの作品を世に送り出せたことに、大きな達成感を感じています。このようなシナジーが生まれる経験は初めてであり、大変貴重な経験をさせていただきました。
インタビュイー:入江 良郎氏(国立映画アーカイブ本館 B1階 小ホールにて撮影)
「関東大震災映像デジタルアーカイブ」の開設により、記録映像が挿絵のような仕様から検証資料として用いられた成果を語る。
映像が日常に溶け込む未来へ
― 最後に今後の活動についてお話をお聞かせください。
入江氏:「関東大震災映像デジタルアーカイブ」は、発生から100年の節目である2023年9月1日に完結するように計画されたものでした。そのため、今後は当館に所蔵するその他のコレクションの公開化に邁進していきたいと考えています。現在は、「日本アニメーション映画クラシックス」、「映像でみる明治の日本」、「関東大震災映像デジタルアーカイブ」、他「フィルムを記録する―国立映画アーカイブ映像ポータル―」、「はじまりの日本劇映画 映画meets歌舞伎」の計5つのサイトで映像を配信しています。また、映画関連資料を公開するサイトとして「映画遺産―国立映画アーカイブ映画資料ポータル―」も運営しています。
「はじまりの日本劇映画 映画meets歌舞伎」では、劇映画の配信にも着手しながら、演劇関係の外部研究者を招き、新たな価値の発掘を目指すプロジェクトも進行中です。
また、「フィルムを記録する―国立映画アーカイブ歴史映像ポータル―」は、日本の社会的な話題や生活インフラ、市民生活などを題材にした文化・記録映画を、さらに広範囲にわたり公開していく予定です。
このサイトは、「関東大震災映像デジタルアーカイブ」のようなキュレーション型とは異なり、今後も公開作品を増やしながら、利用者が様々な関心や用途に応じて新たな価値を見出していくことを想定しています。
私たちは、国立国会図書館が運営するジャパンサーチに映像分野で貢献し、文献が日常的に参照されるのと同様に、映像も当たり前に利用される社会の実現を目指しています。また、デジタル化の進展を追い風として、未公開映画を積極的に公開し、私たちも思いつかないような研究成果が生まれることを期待しています。
取材・文/最上治子 写真/鈴木晴喜
出典: 各デジタルアーカイブのリンク先は、国立映画アーカイブ公式サイトを参照(2024年11月27日確認)。
注釈
まとめ記事( 前編 / 後編 )
※注釈内のすべての参照URLは、2024年11月27日時点の情報に基づいています。
プロフィール
入江 良郎 氏
独立行政法人国立美術館 国立画アーカイブ学芸課長・主任研究員
日本大学芸術学部映画学科を卒業後、早稲田大学大学院で演劇専修(現:演劇映像学コース)を修了。その後、川崎市市民ミュージアムで映画部門の業務に従事。1995年にフィルムセンター(現:国立映画アーカイブ)に入職し、映画や関連資料の収集、保存、上映、展示等の業務に携わる。現在は、学芸課長および主任研究員として、映画文化の保存と普及に努めている。
とちぎ あきら 氏
一般社団法人日本映像アーキビスト協会代表理事、フィルムアーキビスト
ニューヨークのジャパン・ソサエティーでフィルムプログラム・アシスタントを経験後、帰国し「月刊イメージフォーラム」編集長を務める。その後、1998年に東京国立近代美術館フィルムセンター(現:国立映画アーカイブ)に客員研究員として入職。2003年からは主任研究員として着任。 映画フィルムの収集・保存・復元・アクセス対応に従事。2021年から2023年にかけては、国立映画アーカイブ研究員として、ウェブサイト「関東大震災映像デジタルアーカイブ」「フィルムを記録する―国立映画アーカイブ歴史映像ポータル―」に携わる。