デジタル時代に、伝統工芸の未来を拓く〜文京学院大学 経営学部 准教授 川越 仁恵様〜
文京学院大学経営学部川越ゼミと武蔵野大学データサイエンス学部が手を組み、生成AI技術を駆使した江戸小紋の新作「スイーツ尽くし小紋」が誕生しました。
本プロジェクトは、伝統的な工芸技術の継承と未来の可能性を見据えた革新的な試みです。遠目から見ると無地に見えるほど細かな点描を彫って模様を描く「江戸小紋」のうち、とくに錐彫り技法・けれんもの様式においてその図案制作における後継者不足、技術の断絶という社会課題を抱えています。
そのような課題をデータサイエンスの力で克服し、業界の活性化に向けて一歩踏み出した本研究は、デジタルアーカイブの利活用・教育事例としても注目に値するのではないでしょうか。
今回は、本研究に携わった文京学院大学経営学部 川越 仁恵先生に「研究開始の経緯」や「今後の展望」について伺いました。
学芸員時代の経験が研究の原動力
― まず川越先生のこれまでと現在の活動について教えてください
川越先生:文京学院大学経営学部で准教授を務める川越 仁恵と申します。
博物館や美術館の学芸員としての経験を経て、現在は大学で伝統工芸を活かした商品開発や老舗企業のブランディングに取り組んでいます。
― 博物館や美術館の学芸員を経て、大学教員に転職された理由は何でしょうか?
川越先生: 学芸員時代、交流のあった職人さんたちから、事業の先細りを懸念して「後継者に技術を継がせるべきか悩んでいる」との相談を受けることが多々ありました。
しかし、博物館は産業を振興する場ではなく、教育普及の場です。目の前で困っている職人を助けたいと思っても、博物館の役割を超えてビジネス支援を行うことは難しく、仕事上のギャップに悩んでいました。
そんな矢先、運よく美術館で職人やアーティストの創作活動を支援するプロジェクトに、プロデューサーとして携わる機会を頂きました。
このプロジェクトでは、美術館が芸術作品の研究と展示だけでなく、社会や産業の活性化を行う主体的拠点となることを示し、2013年に公益財団法人日本デザイン振興会が主催するグッドデザイン賞【1】を受賞しました。
美術館でこのプロジェクトに携わった経験から、経営学に関心を持ち、大学教員への転職に至ります。
取材は川越様の研究室にて
専門分野を超えた共同研究の始まり
― 学芸員時代のご経験から、現在は伝統工芸×経営というテーマでご研究されているのですね。では今回の「伝統工芸×データサイエンス」の研究を始めるきっかけは何でしょうか
川越先生: 「The Next Rembrandt」【2】というプロジェクトに感銘を受けたことがきっかけで、データサイエンスを用いた研究を開始しようと思いました。
このプロジェクトは、企業や大学などが共同で人工知能などの最先端技術を駆使し、オランダの画家「レンブラント・ファン・レイン(以下 レンブラント)」の新作を創るというものでした。デジタルスキャンでレンブラントの作品をデータ化し、AIにその特徴を覚え込ませることで「新作」を生み出すというアイディアに衝撃を受けました。
しかもこの「新作」は、レンブラント本人が描いたのではないかと思わせるほどの仕上がりだったのです。数ある画家の中からレンブラントが選ばれた理由は、彼と彼の工房の作品が多く現存し、AI・機械学習に利用するデータが豊富であったからだと推察しています。
このプロジェクトを見て、着物でも同様のことができるのではないかと考え、AIの勉強を始めました。
― その後、武蔵野大学 データサイエンス学部の中西崇文准教授とは、どのような経緯で共同研究の実施に至ったのでしょうか
川越先生: 群馬県立産業技術センターの繊維工業試験場の方から「AIを使って着物の帯の画像をクラスタリング【3】できませんか?」という共同研究の提案を受けた際、武蔵野大学データサイエンス学部の中西崇文先生と初めてお会いしました。
中西先生からAIの詳細な情報を伺い、生成アルゴリズムを用いて江戸小紋の図案が作れると確信し、共同研究を提案・実施に至りました。
― 本研究では、江戸小紋の中でも「けれんもの」【4】と呼ばれる形式の新作図案を生成AIで開発していますが、あえて「けれんもの」を選んだ理由は何でしょうか
川越先生: 最初は着物全般を対象に考えましたが、私のゼミ生とともに市場調査を行ったところ、次の3つの理由から古典的な技法である「けれんもの」に挑戦しようという結論に至りました。
- 継承の危機
小紋は専業の図案家が1人しかいない上に「けれんもの」は小紋の中でも技術難度が高く、新作がほとんど出ていなかったため、このままでは「けれんもの」の普及・継承が先細りになる恐れがあること。 - 機械学習に適した図案
機械学習を想定すると、パターンが明確であることが望ましく、中でも事物の具体性をできるだけそぎ落とし、簡略化して表すモチーフを使う「けれんもの」は、特に適していたこと。 - 多用途性と市場での高い需要
小紋はカジュアルにも略礼装にも使用できるため、市場での需要も高いこと。
人間国宝・小宮康孝による江戸小紋の「けれんもの」、画題は「一富士二鷹三茄子」
写真=文京学院大学 川越准教授ご提供の画像を筆者により加工作成
職人の「コツ」や「勘」をAIで再現することの難しさ
― 選定にはそうした背景があったのですね。次の段階である図案の作成においても苦労はありましたか?
川越先生: はい。様々な苦労がありました。今回の研究では、近くで見ると点描したモチーフが浮かび上がって見えるものの、遠目で見ると無地のように見える状態を目指しました。そして、そのために必要な“点”の大きさや“モチーフとモチーフの間隔”などを、古い図案や型紙を参考にしつつ、呉服屋さんに行って実際に計測して描いてみるなど、仮説と検証を繰り返しました。
その結果、「けれんもの」のデザインには、“美しく見えるように緻密に仕組まれた論理”があることがわかったのです。その論理に基づいた制作理論を基に、武蔵野大学のデータサイエンス学部(岡田 龍太郎助教授)の学生が、モチーフをランダムに配置するプログラムを組んでくださいました。
このような過程を辿った背景には、これまで「けれんもの」にはマニュアルはなく、図案化はいわば暗黙知で制作していたことがありました。そのため「けれんもの」のデザイン論理をプログラムとして組めるように言語化、いわば形式知にすることに苦労しましたね。また職人が納得できるクオリティまで高めるために、AIの変数となる要素の言語化などにも苦労しました。
ただ一方で、職人の知識をプログラムに置き換えてみると、AIが人間の脳の学習機能を人工的に再現していることにも気づきました。共同研究を始める前は、AI(人工知能)という名称がどうも腑に落ちませんでしたが、今は「人間の脳に近い機能を持ったコンピュータープログラム」だと実感しています。
AIがすごいと評価されることは、逆説的に言えば、人間の脳の学習機能(暗黙知)がいかに優れているかの証明でもあり、その点に深い感銘を受けました。
生成アルゴリズムの助けを借りてモチーフを配置した新作「スイーツ尽くし小紋」。
写真=文京学院大学 川越准教授ご提供の画像を筆者により加工作成
―過去や現在の図案集や型紙を参考に制作理論を導き出したとのことですが、その時参考にした型紙はかなり古い時代につくられたものもあったかと思います。こうした型紙の技術を継承する上でどのような課題があり、またどのような解決方法が考えられますか?
川越先生: そもそも人気の図案や優れた図案はどんなに破れていても保管されています。しかし型紙は消耗品なので、最終的に現物は使い潰されて消滅してしまいます。
そこで、型紙の図像をスキャンしてデジタルデータとして保存すれば、型紙が完全に消滅しても作り直すことが可能ではないかと考えました。古作のデザインには現代にはない、驚くべき秀逸な趣向が盛り込まれています。これらの模様をリバイバルさせるリソースとなるため、デジタルデータで大切に保管しておけば、老舗企業の経営資源になります。
また、型紙の余白には稀に制作年代が記されていることがあります。デザインの時代性は実証が難しいため、年代が記された型紙は歴史的に非常に貴重です。出版されている図案集はデザインだけが掲載され、余白は切り落とされることがほとんどなので、研究者としてはそこがもったいないと感じます。型紙も自社の歴史を証明する企業アーカイブとして認識し、スキャンデータは少なくとも全紙、裏表を記録しておくと良いと感じました。
さらに複雑な図案によっては、型紙に「糸入れ」や「紗張り」という技法が用いられることがあります。これは型紙が破れないように隙間の大きなデザイン部分を糸や布で補強する技法です。しかし、現在では分業が減少し、こうした技法を実践する人が少なくなっています。
技術の記録とは、現行の技術を録画保存するだけではありません。過去の技術の結果である伝世品の重要部分を拡大し、構造を捉えて立体的に撮影しておくことが、消滅した技術を復活させるために有用だと感じました。
新作図案「スイーツ尽くし小紋」の型紙。
伝統的工芸品認定を受ける昔からの指定技法で彫られている。
写真=文京学院大学 川越准教授ご提供の画像を筆者により加工作成
文理融合の大切さ
― 本研究のように、人文・社会科学分野の研究者が、情報科学の分野の研究者と共同研究を行う事例が今後増加するのではないかと推察します。最近では、人文・社会科学分野に情報科学的手法を用いることで新たな知識や視点を得る研究が注目されていますが、この潮流についてどのように感じていますか?
川越先生: 興味はあっても、自身の人文・社会科学の分野と情報科学的手法の接点を模索している研究者は多いように思います。また、人文・社会科学系の研究者の中には、高度なITリテラシーが必要なのではないかという懸念を持つ方もいらっしゃいます。
しかし、今回の学際的研究を通して私自身が学んだことは、いわゆる“理系”の研究には“文系”の存在が必要だということです。この研究のスタンスは、前段階として製造業におけるAI活用の成功と失敗を論文で検証した結果を反映させています。いくらAIによるプログラミングができても、その結果の利活用ニーズをとらえていないと、誰も使わないプログラムになってしまうことが見られたからです。
だからこそ人文・社会科学分野の研究者が実社会の問題を丁寧にくみ取り、ニーズを明確にする使命があるのです。
もっとも、既に人文・社会科学分野を実践的な視点から捉える学問がいくつか存在します。例えば実験考古学です。そもそも考古学の遺物は何千年も前に作られた品物であるため、制作方法がわからないことがあります。しかしこの学問では、古代の人が実際に作ったように試作し使用してみることで、観察しただけでは分からなかった制作方法を明らかにできます。
今回の研究は、さながら経営学という分野でデータサイエンスを用いて実験考古学を行ったという感覚に等しいですね。DX化や生成AIという言葉に必要以上に身構えず、新たな手法が増えたと捉え、今後も積極的に自身の研究に取り入れていこうと個人的には考えています。
デジタル時代の「伝統工芸×マーケティング」で工芸市場を盛り上げたい
― 今後の研究について、伝統工芸×マーケティングを軸に、どのような取り組みを予定していますか
川越先生: 今後もデジタル技術を積極的に取り入れ、伝統工芸の新たな可能性を追求していきたいと考えています。
例えば今、学生と共に伝統工芸をテーマにした子供向け知育ゲームの開発にも取り組んでおり、経営シミュレーションや競りの要素を盛り込んだりすることで、データサイエンスの手法を通じて伝統工芸の魅力を広く伝える新たな手法を探っているところです。
取材・文/最上治子 写真/鈴木晴喜
脚注
“単にものの美しさを競うのではなく、産業の発展とくらしの質を高めるデザインを身の回りのさまざまな分野から見出し、広く伝えることを目的とする、日本で唯一の総合的なデザイン評価・推奨の運動。”.
公益財団法人日本デザイン振興会.https://www.jidp.or.jp/ja/gooddesign/award,(参照 2024-08-23)
参考記事:世界を変えたブランド広告(7)ING「THE NEXT REMBRANT」(日本経済新聞.2022/6/29)
教師なし学習のデータ分類手法。データセットを特定のルールに基づいて、外的基準なしに自動的に分類する手法のこと。
江戸小紋の伝統的な様式の一つ。モチーフの配置を整序した「割りもの」に対して、「けれんもの」はモチーフの向きをランダムに配置する。モチーフの輪郭を実線でなく点で描く、「宝物尽くし」など同種の事物をたくさん集めて埋め尽くす模様や謎かけがあるなど、遊び心とメッセージ性があるのも特徴。
プロフィール
川越 仁恵(かわごえ あきえ)
文京学院大学 経営学部 准教授 マーケティング・デザイン学科 学科長
デザイン・歴史・グローバルを軸に、歴史を活かした商品開発や老舗企業のブランディングを行う。
プロデューサーとなった、「新伝統工芸プロデュース『TOKYO CRAFTS &DESIGN 2012』」(東京都美術館主催)がビジネスメソッド、ビジネスマネージメント領域で審査員推薦の上、「2013年度グッドデザイン賞」(主催:公益財団法人日本デザイン振興会)を受賞。
全国染織協同組合連合会染色技術協議会審査員、東京都伝統工芸品産業振興協議会委員、2024年経済産業省伝統工芸品産業の振興のあり方に関する検討会委員。