デジタル時代に、伝統工芸の未来を拓く【後編】〜文京学院大学 経営学部 准教授 川越 仁恵様〜

【前編の要約】

【前編】は、川越様のこれまでのご経験や、伝統工芸×データサイエンス×経営学を結び付けたプロジェクトに至るまでの背景についてお話いただきました。

【後編】では、武蔵野大学データサイエンス学部との『学際的研究の進展』や、プロジェクトを通じて見えてきた人文・社会科学の研究者とデータサイエンスとの付き合い方、そして『今後の展望』についてをお届けします。

 

職人の「コツ」や「勘」をAIで再現することの難しさ

― 選定にはそうした背景があったのですね。次の段階である図案の作成においても苦労はありましたか?

川越先生: はい。様々な苦労がありました。
今回の研究では、近くで見ると点描したモチーフが浮かび上がって見えるものの、遠目で見ると無地のように見える状態を目指しました。そして、そのために必要な“点”の大きさや“モチーフとモチーフの間隔”などを、古い図案や型紙を参考にしつつ、呉服屋さんに行って実際に計測して描いてみるなど、仮説と検証を繰り返しました。その結果、「けれんもの」のデザインには、“美しく見えるように緻密に仕組まれた論理”があることがわかったのです。その論理に基づいた制作理論を基に、武蔵野大学のデータサイエンス学部(岡田 龍太郎助教授)の学生が、モチーフをランダムに配置するプログラムを組んでくださいました。

このような過程を辿った背景には、これまで「けれんもの」にはマニュアルはなく、図案化はいわば暗黙知で制作していたことがありました。そのため「けれんもの」のデザイン論理をプログラムとして組めるように言語化、いわば形式知にすることに苦労しましたね。また職人が納得できるクオリティまで高めるために、AIの変数となる要素の言語化などにも苦労しました。

ただ一方で、職人の知識をプログラムに置き換えてみると、AIが人間の脳の学習機能を人工的に再現していることにも気づきました。共同研究を始める前は、AI(人工知能)という名称がどうも腑に落ちませんでしたが、今は「人間の脳に近い機能を持ったコンピュータープログラム」だと実感しています。AIがすごいと評価されることは、逆説的に言えば、人間の脳の学習機能(暗黙知)がいかに優れているかの証明でもあり、その点に深い感銘を受けました。


生成アルゴリズムの助けを借りてモチーフを配置した新作「スイーツ尽くし小紋」。

(写真=文京学院大学 川越准教授ご提供の画像を筆者により加工作成)

―過去や現在の図案集や型紙を参考に制作理論を導き出したとのことですが、その時参考にした型紙はかなり古い時代につくられたものもあったかと思います。こうした型紙の技術を継承する上でどのような課題があり、またどのような解決方法が考えられますか?

川越先生: そもそも人気の図案や優れた図案はどんなに破れていても保管されています。しかし型紙は消耗品なので、最終的に現物は使い潰されて消滅してしまいます。

そこで、型紙の図像をスキャンしてデジタルデータとして保存すれば、型紙が完全に消滅しても作り直すことが可能ではないかと考えました。古作のデザインには現代にはない、驚くべき秀逸な趣向が盛り込まれています。これらの模様をリバイバルさせるリソースとなるため、デジタルデータで大切に保管しておけば、老舗企業の経営資源になります。

また、型紙の余白には稀に制作年代が記されていることがあります。デザインの時代性は実証が難しいため、年代が記された型紙は歴史的に非常に貴重です。出版されている図案集はデザインだけが掲載され、余白は切り落とされることがほとんどなので、研究者としてはそこがもったいないと感じます。型紙も自社の歴史を証明する企業アーカイブとして認識し、スキャンデータは少なくとも全紙、裏表を記録しておくと良いと感じました。

さらに複雑な図案によっては、型紙に「糸入れ」や「紗張り」という技法が用いられることがあります。これは型紙が破れないように隙間の大きなデザイン部分を糸や布で補強する技法です。しかし、現在では分業が減少し、こうした技法を実践する人が少なくなっています。

技術の記録とは、現行の技術を録画保存するだけではありません。過去の技術の結果である伝世品の重要部分を拡大し、構造を捉えて立体的に撮影しておくことが、消滅した技術を復活させるために有用だと感じました。


新作図案「スイーツ尽くし小紋」の型紙。
伝統的工芸品認定を受ける昔からの指定技法で彫られている。

(写真=文京学院大学 川越准教授ご提供の画像を筆者により加工作成)

文理融合の大切さ

― 本研究のように、人文・社会科学分野の研究者が、情報科学の分野の研究者と共同研究を行う事例が今後増加するのではないかと推察します。最近では、人文・社会科学分野に情報科学的手法を用いることで新たな知識や視点を得る研究が注目されていますが、この潮流についてどのように感じていますか?

川越先生: 興味はあっても、自身の人文・社会科学の分野と情報科学的手法の接点を模索している研究者は多いように思います。また、人文・社会科学系の研究者の中には、高度なITリテラシーが必要なのではないかという懸念を持つ方もいらっしゃいます。

しかし、今回の学際的研究を通して私自身が学んだことは、いわゆる“理系”の研究には“文系”の存在が必要だということです。この研究のスタンスは、前段階として製造業におけるAI活用の成功と失敗を論文で検証した結果を反映させています。いくらAIによるプログラミングができても、その結果の利活用ニーズをとらえていないと、誰も使わないプログラムになってしまうことが見られたからです。

だからこそ人文・社会科学分野の研究者が実社会の問題を丁寧にくみ取り、ニーズを明確にする使命があるのです。

もっとも、既に人文・社会科学分野を実践的な視点から捉える学問がいくつか存在します。例えば実験考古学です。そもそも考古学の遺物は何千年も前に作られた品物であるため、制作方法がわからないことがあります。しかしこの学問では、古代の人が実際に作ったように試作し使用してみることで、観察しただけでは分からなかった制作方法を明らかにできます。

今回の研究は、さながら経営学という分野でデータサイエンスを用いて実験考古学を行ったという感覚に等しいですね。DX化や生成AIという言葉に必要以上に身構えず、新たな手法が増えたと捉え、今後も積極的に自身の研究に取り入れていこうと個人的には考えています。

デジタル時代の「伝統工芸×マーケティング」で工芸市場を盛り上げたい

― 今後の研究について、伝統工芸×マーケティングを軸に、どのような取り組みを予定していますか

川越先生: 今後もデジタル技術を積極的に取り入れ、伝統工芸の新たな可能性を追求していきたいと考えています。

例えば今、学生と共に伝統工芸をテーマにした子供向け知育ゲームの開発にも取り組んでおり、経営シミュレーションや競りの要素を盛り込んだりすることで、データサイエンスの手法を通じて伝統工芸の魅力を広く伝える新たな手法を探っているところです。

 

聞き手:最上 治子

編集後記

川越先生の取材で特に印象に残ったのは、「職人を助けたい」という熱い思いと、新しい知識や情報に対しての柔軟で前向きな姿勢です。この二つの要素が、今回の江戸小紋の「けれんもの」様式の図案を生成AIで再創造する試みにつながっているのだと感じました。

また、次の取り組みとして、伝統工芸をテーマにした知育ゲームの開発が進行中とのこと。川越先生の明るさと探求心が、このプロジェクトをさらに魅力的で革新的なものにしていくことでしょう。

伝統工芸技術の継承とその魅力を次世代に継承するために、デジタル技術をどのように活用していくのか、川越先生の挑戦は私たちにとっても非常に興味深いものです。今後も川越先生の活動を追い、皆様にその進展をお伝えしていきたいと思います。

 

プロフィール

文京学院大学 経営学部 准教授

マーケティング・デザイン学科 学科長

川越 仁恵様

デザイン・歴史・グローバルを軸に、歴史を活かした商品開発や老舗企業のブランディングを行う。

プロデューサーとなった、「新伝統工芸プロデュース『TOKYO CRAFTS &DESIGN 2012』」(東京都美術館主催)がビジネスメソッド、ビジネスマネージメント領域で審査員推薦の上、「2013年度グッドデザイン賞」(主催:公益財団法人日本デザイン振興会)を受賞。

全国染織協同組合連合会染色技術協議会審査員、東京都伝統工芸品産業振興協議会委員、2024年経済産業省伝統工芸品産業の振興のあり方に関する検討会委員。

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